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はきものをそろえさせる?

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現在の仕事を始める前、十数年前のことですが「履物を揃える」「徹底的に掃除する」話をうかがう機会がありました。 「はきものをそろえる」の一節は道元禅師のものとされ、永平寺内にも掲示してあるという有名なものです。 このテーマは今でも根強い人気で、家庭教育や道徳教育などにも取り入れられているようです。 そのときのお話も良いお話ではあったのですが、経営者向けの講演会のせいか、履物を揃えれば会社が発展する、一生懸命掃除すれば儲かる会社になるという結論付けにちょっと違和感を感じたものです。 風が吹けば桶屋が儲かるのと同じ発想ですね。 履物を揃えたり掃除をすること自体は、自分や周囲の気分が良くなることですし、物に感謝する心の現われだと思いますから、否定するつもりはまったくありません。 しかしながら、個人個人が素直な心からそういう行動を取れるようになる事が大切であるとは思いましたが、儲けるために従業員に強制的にやらせようとする理屈は私には理解できませんでした。 自分の利益のために「道徳」を利用していること、言い換えると金儲けのために善を利用していることにその時の参加者の何人が気付いていたでしょうか? 一見良い話に聞こえ、やっている本人やらせている本人も良い事をしているつもりになっていますが、よくよくその人の内面を見つめなおすと世間愛や自己愛の奴隷になっていたということが少なくありません。 自分の教えがまさか金儲けの道具に成り下がるとは、道元禅師も思わなかったことでしょう。

隙間のある生活を

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カッカしながら何かをしている人、追いかけられるように何かに没頭している人、不機嫌そうにしている人などには話しかけにくいものです。 快く応対してもらうためには、その人のちょっとした隙(すき)をねらって話しかけるしかありませんね。 スピリチュアルガイド(指導霊)にとっても同様で、そういう人には近づき難いですし、援助しようとしても無視されてしまわれそうに思ってしまいますから、同じように隙をねらっています。 一方、雲の切れ間や、木々の葉の隙間、家の建具の隙間から太陽の光が差し込んでいる様子は、ほとんどの方が目にしたことのある光景だと思います。   心に余裕がない状況は、何かに覆われたまま光が差し込む隙も無い状態に似ています。 歴史上の精神的あるいは宗教的な指導者は、必ずと言っていいほど隙時間にインスピレーションを得ている様子が記述されています。 リラグゼーション、瞑想、白昼夢など、隙の作り方は様々あります。 要は仕事、家事、趣味といった日常を脇に追いやり、ボッーとしたり無心になる時間を作ることです。 ヒーリングも良い隙時間になります。 世の中では「スキマ時間の有効活用」とか称して、大切な「隙」すら現代人から奪おうとしている勢力もあります。 「何かをしていないと不安」という気持ちや、「スキマ時間」を失う事のほうが、心に暗闇をもたらす事なのに…。 いつもオープンマインドで、何事にも寛容で余裕があり、快活な人だったとしたらそんなスキを狙わなくても話しかけたりしやすいものです。 こういう人物を目指すことのほうが本当は大切なのでしょうが…。