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先なる者と、あとなる者

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これまでの人生で、沢山の諸先輩方からご教示を受けたり、アドバイスをいただいたりしてまいりました。 その一つひとつが、私の血となり肉となっており、私の人生に関わっていただいた皆様への感謝の念は堪えません。 三次元は魂の修行の場である以上、地球に集う意識体(霊)に完璧なものは無く、私もその不完全な魂の一人であります。 普段、こういった真面目くさった事を言ったり書いたりしておりますし、ニュートン的科学では理解し得ないパワーを使って仕事をさせていただいていることもあって、私の事を「完成された人間」と誤って捉えられている方が時々いらっしゃいます。 つい先日も、数年来お付き合いさせていただいているクライアント様と仕事を離れてお話しする機会がありましたが、その場でも「いやぁ、先生はもう完成されているのかと思ってました…」と言われてしまい、恥ずかしさやら、日頃お教えしてきた事が理解されていない寂しさやら、と複雑な気持ちになってしまいました。 もちろんその発言はしっかりと否定し、「この地球上に完璧な人間、魂はいませんよ」と再度念を押してレクチャーさせていただきました。 どのような分野においてでも、先に道を行く人から様々なことを教えていただく事はあって然るべきです。 そして先を行く者にとっては、後進を指導することは、大切な責務でもあります。 他人様や天から与えられた智慧や知識を、自分のものだけにしておくという行為は、利己主義(自己愛)の表れです。 しかしながら、後から進む人が、先を行く人のことを「完成された人間」と思い込んでしまったり、その人に陶酔してしまうようではいけません。 また、先をいく者も自分自身を「特別な存在」と勘違いしてしまったり、人を指導したという事を勲章のように思ったりしていたのでは、深い罠が待ち受けています。 こういった関係は、やがてお互いにお互いを利用し利用されるという、この世の利害だけの関係へと変質していくものです。 生身の人間を崇拝していると、いづれその人の利己的な部分であったり、傲慢さであったり、物欲的であったりといったとても人間臭い部分が眼につくようになり、幻滅してしまうのが世の常です。 カルトの終焉は、常に教祖の人間的部分の発露であります。 私もかつて一度ならずこのような経験をしております(カルトじゃありませんよ、念のため…)。 そして気付くのです、「この