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UK2015⑧

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The Arthur Findlay College (AFC)には、研修宿泊施設以外にちょっとした息抜き施設もあります。 近くの街まで片道徒歩20分以上かかり、一旦研修に入ったら外の世界の空気に触れることはなかなか難しくなりますので、滞在を飽きさせないため受講者への一つの心遣いでしょう。 売店、ライブラリー(図書室)、ヒーリングセンター、小さな博物館、そして意外にもバーまであります。 ライブラリーは授業で使っていることが多いので今までに1回しか足を踏み入れたことはないのですが、その他の施設は何度かお世話になっています。 この中でも週に一度だけ開く小さな小さな博物館はとても興味深い資料が並んでいます。 19世紀から20世紀半ばのスピリチュアリズム勃興期に行われた交霊会で、実地で使用されたり記録された物を見ることができます。 それまで書籍などでしか見聞きしたことがなかったようなものばかりです。 私事ですが、昨年エステル・ロバーツ女史の「RED CLOUD SPEAKS」の日本語訳版の再刊行に少しだけ関わった関係で、今年は特に女史と RED CLOUD に関する物に焦点を当てて見学しました。 すると女史と RED CLOUD の交霊会の様子を撮影した写真や、その時の物理現象の資料などが展示されていたことにあらためて気付きました。 今まで何を見ていたんだろう(汗)… ここに展示されている物は研究者にとってはすべて一級品、日本ではあまり馴染みのない RED CLOUD ですが本場では貴重な霊界通信としてとりあげられていることを確認し、再刊行にちょっとだけ関われたことに感謝です。 RED CLOUD に関してもうひとネタ。 後日、AFCの売店で売られている書籍を眺めていたらなんと「RED CLOUD SPEAKS」が並んでいるではありませんか! どうやら1938年の初版以後、もう何年も絶版していると思っていましたが、2013年に再版されていたようです。 日本語訳の再版が2014年、ほぼ時を同じくして英国と日本で RED CLOUD の霊界通信が再び日の目を見たということは決して偶然ではなく、なにかしらの大きな力が働いているような気がします。 もちろん敬意を払う意味で、その再版本を購入してまいりました。 日本語訳版はこちらからご確認下さい

UK2015⑦

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AFCでのお勉強は、一日ぎっしりのスケジュールではありますが、滞在中にヒーリングやプライベートシッティングを受けるチャンスもあります。 ヒーリングはカレッジのヒーリングマスターやトレーニング中のヒーラーが一般向けにサービスを提供しています。 AFCに初めて研修に来る前年、このヒーリングサービスを受けにやって来たことがありましたので、思えばあの頃からAFCとはご縁の糸が繋がっていたようです。 もちろんプライベートシッティングも受けさせてもらいました。 ここAFCに限らずとも、私は年に一回程度は英国人ミディアムの方にシッティングしていただき、今の自分の状態というか立ち位置を確認し、今後の道筋についてアドバイスをいただく機会を作っています。 数年前から healing や mediumship の他に、より teaching(教えること)にシフトしていくというアドバイスをいただいていましたが、今年は更にそれにダメを押すようなシッティングの内容でした。 私の teaching に関する方向性、サークルの具体的な運営方法、日常生活の変化にいたるまで、どれも具体的なアドバイスばかりで今回のようなシッティングは初めてと言ってもいいかもしれません。 具体的すぎて「ああもう逃げられないなぁ」という覚悟を迫られた感もあります(笑) このプライベートシッティングの内容を踏まえて、今後も皆様のお役に立てるように一層精進させていただきますので、これからも変わらぬご引き立てを賜りますよう宜しくお願いします。 プライベートシッティングも承っております。 あなたもスピリチュアルガイドのメッセージを受け取ってみませんか? もちろん日本語です(笑 ) 個人セッションのご案内 | Spiritualism Today  各地で個人セッションを提供しております。

UK2015⑥

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明けて日曜日からは研修も本番モードに入っていきます。 朝の9時から夜の9時まで、途中に休憩と食事タイムはあるものの一日7時間半、ぎっちりとお勉強です。 クラスは三つに分けられ、それぞれの講師の下でのグループワークが基本ですが、全員でのワークショップや講義もあります。 初めて参加した年は、講師の方も手探りだったのでしょう、一日中グループワークをしていたような状態で、理論的な裏付けをしてくれる機会も少なくて少し混乱しましたし、ワークがハードで結構疲れました。 回数を重ねるごとにそういうところは改善され、今年はとても丁寧な進行でかつ理解し易いように工夫されたプログラムだったような感じを受けます。 オーガナイザーの先生は一見強面で大雑把な印象を受ける方ですが、本当の所は、見ていないようにしていてちゃんと細かいところまで心を砕いていらっしゃるのだなぁと感心しました。 私のように連続して参加されてる方もいらっしゃいますし、今年は日本で毎月お会いしている方が8名もいらっしゃたこともあって、例年になくリラックスして楽しく過ごすことができた一週間となりました。 参加された皆様、講師の皆様、カレッジのスタッフの皆様、この機会を創作していただいた方々にあらためてお礼を申し上げたいと思います。 AFC(アーサー・フィンドレイ・カレッジ)の公式日本窓口は2021年分から変更になっております。ご興味のある方は下のリンクよりご確認下さい。 InterAnges

UK2015⑤

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五日目、今日は土曜日。 今晩から次の土曜日の朝までは缶詰の勉強です。 The Arthur Findlay College (略してAFC)は Spiritualist National Union が運営するカレッジです。 言ってみればスピリチュアリストにとっての最高学府のようなところです。 ちなみに スピリチュアリストとは、霊界の高級霊からもたらされた「霊的真理」を価値観の礎にして、実践的に人生を生きる人 のことを指します。 霊的能力の有無はスピリチュアリストの定義には関係ないのです。 日本ではいわゆる「スピ系」と呼ばれる、霊的真理にも疎く、スピリチュアリズムの「ス」の字も聞いた事がないような(超)能力者や鑑定士、神道系研究者らが、自らをスピリチュアリストと名乗っていたり、いい加減な週刊誌がこういう方々をスピリチュアリストとして紹介していますので、よくよく区別して理解していただきと思います。 数年前、はじめてAFCで勉強させていただくことになった時は、身体が震えるくらい緊張していたことを覚えています。 自分が成長できているかどうかはさておいて、期間だけは長くスピリチュアリズムの勉強をしているので、スピリチュアリストの最高学府のようなところで自分が学ぶ資格があるのだろうかとずっと自問していました。 ところが現地に着いてみると、「あれっ」という感じでホッとすると同時に少し拍子抜けしてしまいました。 「スピリチュアリズムって何?」的な「スピ系」の方々も結構な数いらしていたからです。 中にはハリーポッターの魔法学校と重ね合わせてしまっているチョット…な方まで…。 私から見ると随分とカジュアルに成り下がってしまった感が否めませんでしたが、講師の先生方やカレッジのスタッフが、受講者それぞれのバックボーンは横に置いて、全受講者に対して一生懸命にそして誠実に関わっている姿を拝見したことで、学ぶ機会を得ることに垣根は無く、この一週間ここで学んだ事をその人がどう受け入れそして自分自身の霊的完成に結びつけていくか、ということが大切なんだなぁと認識し直したものでした。 今年もそのAFCで学ばせていただく機会を得ることができて感謝の気持ちでいっぱいです。 お昼過ぎ、旧知の友人のM氏とヒースローの別のホテルで待ち合わせをし、ミニキャブ(タクシー)でAFCまで向かいます。 ところが約束の時間

UK2015④

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  まずはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂へ。 四日目、ローマ最終日、夕方にはロンドンへのフライトです。 朝食後早々に身支度を済ませ、ホテルをチェックアウトすると同時に荷物を預かってもらい、ローマ市内へと出かけます。 出発までの時間は、一昨日に見られなかった所を観光しようと決めていました。 一昨日は入場待ちの行列がとても長くて諦めましたが、今日は午前中の早い時間ということもあってか、団体客の姿もなく10分ほどで中に入ることができました。   サン・ピエトロ大聖堂 ここはローマカトリックの大本山ですので、その内部の絢爛たるや流石としか言いようがありません。 中にある博物館、ミケランジェロのピエタ像、そして数々のベルニーニの作品を満喫して、ここを後にします。 次にローマ到着の夜にホテルの女性から教えてもらった、ローマ市内が一望できるというボルゲーゼ公園へ。 ポポロ広場から人の流れを離れて急な坂道(というより半分登山!)を登っていくと、確かに素晴らしい景色が拡がっています。   スペイン広場までの道中、ショッピングにはあまり興味がない私にとって、繁華街を離れ、のんびりと景色を堪能することができるこの道は、私にはとても合っていました。 ここは私が持っていたガイドブックには載っていませんでしたので、ホテルの彼女には感謝感謝です。 スペイン階段、トレビの泉など有名どころを見て回ると時刻は正午過ぎ。 に戻って荷物をピックアップ、テルミニ駅に向かいます。   カフェグレコにて ローマ市内を離れ際にちょっとした事件が… フェウミチーノ空港へ向かうレオナルドエクスプレスに乗り込む時、係員らしい二人が一緒に乗り込んできて「チケットを確認させろ」と片言の英語で話しかけてきます。 怪しいと思った私は無視してましたが、同じ車両に乗り込んだアジア人カップルに付きまといチケットを指差しては、○○ユーロ足りないと言ってお金を請求しているようでした。 そのカップルがお金を出そうとしたちょうどその時、別の係員が来てその二人を車両から追い払っていました。 その二人はどうやらなりすまし詐欺師のようでしたので、一歩誤れば私も危ない所でした。 それにしてもその偽物係員の服装は、正規の係員のものと瓜二つ…、いったいどこで手に入れるのでしょう? 皆様も海外旅行では十分にお気をつけください。 アリタリヤ航空で無事ロンド

UK2015③

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テルミニ駅 三日目。 今日は聖フランチェスコが活躍したアッシジに向かいます。 朝早くローマのテルミニ駅を出て、片道2時間強の電車の旅です。 初日に乗り間違いの失態をしているので、同じ轍を踏まないように電光掲示板で何度も行き先と停車駅を確認してから乗り込みます。 30分ほど走ると都市の雰囲気は薄れ、田舎町や畑、放牧地等のどかな景色が広がります。 そのうち遠くに見えていた山々が近くに迫ってきて、何本か長いトンネルを抜けるとウンブリア州に入り、アッシジが近づいてきます。 アッシジ駅 アッシジ駅で降り、ここからは路線バスに乗り換えて聖フランチェスコが生まれ育った旧市街へと向かいます。 P.Za Matteotti Assisi でバスを降り聖ルフィーノ大聖堂を見学、高台にある要塞ロッカマジョーレからアッシジ旧市街を一望し、聖キアラ教会、聖フランチェスコ聖堂というコースで巡ります。 スパジオ山の中腹標高500メートルにあるアッシジ旧市街は、街全体が坂になっていますので、このコースで巡れば始めのロッカマジョーレにさえ頑張って登れば、あとはずっと下りになるので楽チンです。   教会のそれぞれに見所がありますが、清貧を旨として一切の所有を認めなかった聖フランチェスコにはあまり似つかわしくない豪華な建物には少々違和感を禁じ得ませんでした。しかしこれらも彼の残した偉大な功績を伝承しようとした弟子たちの凄まじい努力の結晶だと考えると、それはそれで評価しなければと思います。 アッシジにはアッシジ時間が流れているといいますが、のんびりとしたこの街の雰囲気は聖フランチェスコの生き方や彼が残した詩に思いを寄せる心の余裕を取り戻させてくれます。   今回は残念ながら聖フランチェスコが活動の拠点としていたカルチェリの庵やサンダミアーノ修道院へは寄れませんでしたが、また時間を作って今度はそちらをメインに再訪したいと思いました。 聖フランチェスコが生きた時代の雰囲気を色濃く残しているのはおそらくそちらでしょうから … ローマへの帰りの電車を待つ時間、アッシジ駅近くのサンタマリア・デリアンジェリ教会に立ち寄ります。 ここは聖フランチェスコ最後の地で、礼拝堂には彼が生前身につけていた腰紐が祀られています。 聖フランチェスコが生きていた証を間近にし、彼の生き様に再び思いを馳せるのでした。

UK2015②

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二日目。 明日のアッシジ行きに備え、時差調整を兼ねて今日はかるーくローマ市内観光をすることに。 ローマに来た目的はほぼ一つといっても過言ではありません。 バチカンにあるラファエロのフレスコ画をこの目で鑑賞すること…、とミケランジェロを筆頭にした名だたる芸術家の作品を生で鑑賞することです。 バチカンは午後一の入場予約をしておいたので、午前中はコロッセオ周辺を散策しに出かけます。 コロッセオ周辺は定番の観光スポットではありますが、その中でも団体客が少なめの古代ローマの都心であったフォロロマーナを歩いていた時のこと…、ふとマグダラのマリヤも遥かイスラエルからこの地にやってきてこの道を歩いていたのではないかという直感が沸き起こりました。 伝説の域を出てはいませんが、イエスの磔刑の後、マグダラのマリヤはこの虐殺をはるばるローマまで上訴しに行き、その後の第1次ユダヤ戦争の遠因になったという話があります。 当時は女性が旅をするだけでも大変な事であったろうに…、とマリヤの苦労や気持ちに思いを馳せると、彼女の勇敢さや志といったものにとても感化されます。 最もよくイエスの教えを理解し、実践し、勇気を持って行動し、そして愛にあふれる人物であったマグダラのマリヤは、私にとって良いお手本です。 まさかローマに来てマグダラのマリヤへの思いで胸がいっぱいになるとは全く想像していませんでした。 午後は念願のバチカン博物館へ。 数年越しで夢見ていた作品群を目前にして、ただただ感動するばかりでした…

UK2015①

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先月2週間弱をかけてイタリアと英国へ旅をしてきました。 英国は8度目、イタリアへは初の訪問です。 旅のメインは英国でのワークショップへの参加ですが、その前に以前から訪れてみたかったローマとアッシジへ立ち寄る旅程を立てて、いってまいりました。 ここ数回のブログはこの話題で進めて行こうと思います。 初日、ソウルでの乗り継ぎを経て、午後8時前にローマのフェウミチーノ空港に無事到着。 レオナルドエクスプレスに乗って、ホテルのあるローマ中心部へと向かいます。 切符を買い、ヨーロッパ特有の打刻を済ませ、乗車、そして無事発車。 チンプンカンプンのイタリア語のアナウンスの後、英語でのアナウンス…。 「んっ?」そこで初めて自分が間違ってローカル線に乗った事実に気づきました! 「えー、どうしよう…」と考えていると車内で英語でのやり取りが聞こえてきました。 どうやらその女性も間違って乗車してしまったらしく、現地の English speaker に対策を尋ねている模様。 私もその話の輪に加わりいろいろ質問しましたが、結局は次の停車駅で降りて引き返すのが早いだろうとのことで、間違って乗車したその女性とともに次の駅で降車しました。 ローカル線なので一駅を折り返すだけで30分以上もかかってしまいましたので、 旅は道連れというわけでも無いですが、その女性とローマ中心部に向かう道すがらいろいろとお話しをしていきました。 彼女はソウルの大学生で、MERSの影響で2週間休校になったので、旅行に出たとのこと。 彼女の周りの友人もこの機会を利用して、海外旅行に出かけている人が結構いるらしい。 日本を離れると、感染力が弱いせいもあるのでしょうがMERSの話題はメディアにもほとんどあがってこないので、拍子抜けするとともに、いかに日本のメディアが恐怖心をあおるような報道をしているのかということがよーくわかりました。 そういえば今回の旅行中、観光やワーキングホリデーでのバイトだと思われる韓国や中国系の若者をたくさん見かけましたが、日本人の若者にはほとんど出会いませんでした。 時期が時期だけに日本の若者は真面目に学校に行き、仕事に励んでいるのかも知れませんが… 私が20代だった頃に比べて現代ははるかに外国に行き易くなっているのに…、どうなっているのでしょう? 日本の若者の内向き志向が言われて久しいですが、若いうちだ