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迷子

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ぬるま湯の学生時代が終わり、社会という荒波に放り出された頃から私は迷い始めていた。 いや正確には迷っていたことにさえ気づいていなかった。 ただ日常生活に漠然とした物足りなさを感じながら日々を過ごしていた。少し背伸びをしてみた。 酒、タバコ、麻雀、パチンコ、カラオケ…、周りの大人たちがやっていることを真似して大人風に振る舞ってみた。 一通り体験したみたけれどすぐに飽きた。 人生の時間の浪費としか感じられなかったから。 体を動かすことなら健康的かなと考えて、テニスやゴルフなんかにも手を出してみた。 そこそこ人並みにプレーできるようになると、これもまた放り出してしまった。 これを突き詰めたところで、自分に何が残るのかと疑問が生じてしまったから。 やはり勉強が大切だよなぁと思い直し、タメになりそうな勉強会やらセミナーやらに手当たり次第に参加した。 当時社会問題にもなった自己啓発系セミナーも体験してみたし、マネジメント系も体験した。 成績が良かったらしく、講師の目に止まるほどの存在になることができて、講師や受講者仲間からチヤホヤされた。 ちょっと自分に自信がついた。 そんな時期、ある問題が生じた。 自分の人生や自分の存在意義を考えさせられる、人間としての根源的な問題。 散々時間と金を投資したそれらの勉強から得た知識では、生じたその問題を解決するヒントにすらならないという現実を突きつけられた。 今まで私が成果を出してきた場はセミナーや勉強会の内輪の中でのことで、現実にある課題には何一つ手をつけずそのまま放置していたことに気づいた。 今まで築き上げてきた価値観が音を立てて崩れていった。 こうしてセミナーや勉強会からも足が遠のいた。 悶々とした日々を過ごしていたある日、霊的真理に出会った。 いままで迷ってきていたことの本質がわかった。 心が晴れやかになっていく感触があった。 生じたその問題に取り組むという意欲が湧いた。 苦労はあっても日々の生活が生き生きした充実したものへと変わっていった。 霊的真理は私の救いになり、いつの日にかこれを他の人に伝えることができるようになれば良いなとおぼろげに思った。 私が霊的真理を学ぶキッカケとなったのは、本物のスピリットヒーリングを体験したこと。 言葉にできないあの感覚が魂の琴線に触れ、私の内部に眠っていた霊性に火をつけた。 霊的な体験は霊的真理を

好きな人嫌いな人

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誰にでも好き嫌いはあるものです。 日常生活で様々な人達と関わって生きなければならない私たちにとって、人の好き嫌いは避けがたい現実です。 宗教的な教えによると、全人類を愛しましょうとか、あなたの敵を愛しなさいというようなフレーズをよく耳にします。 しかしながら、現実問題としてみると、好きな人を愛することは簡単なことですが、嫌いな人までを愛することはなかなかの至難の技です。 またこれも自分勝手な話しですが、自分には嫌いな人がいるくせに、自分が他人から嫌われることは絶対に避けたいと思うのも人情です。 他人から嫌われないことに過敏になるあまりに、気を使っては自ら消耗をし、人間関係の混沌の中に揉まれながら、心の休まらない日々を過ごしている方が多いのではないでしょうか。 「相手は自らの鏡」という言葉があります。 自分の身の回りの人間関係からは様々な教訓を学ぶことができるということです。 特に苦手な人や嫌いな人については、その相手の毛嫌いしている部分が、実は自分にも内在していることが多いようです。 自分にある自分の嫌な部分を、相手の中にも見つけてしまうことで、心が過敏に反応して相手を嫌ってしまうのです。 苦手な相手、嫌いな相手は自らの鏡だと悟ると、意外とその相手を赦すことができてしまうものです。 好き嫌いは人の常。 嫌いなものを好きになれとは言いません。 それよりも、好き嫌いはあるものだし、自分にも嫌いなものがあり嫌いな人がいる、という現実をしっかり受け止めた方が建設的ですね。 「嫌いな人=赦せない人」は自らにもノーを突きつけているようなもの。 心が成熟してくると、必ずしも嫌い=赦せないではなくなってくるものです。 そして「人から嫌われないようにする」から「人を嫌わないようにする」という心境にも到達できることでしょう。