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霊的な痛み

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霊的な痛みと言っても、悪霊の祟りだとか、いたずら霊の仕業というお話ではありません。 肉体の器質的な障害が取れているにもかかわらず、以前に患った部位が当時のように痛んだり疼いたりすることがあります。 このような現象は、自分は霊的存在であるということに気付いた方、そして曲がりなりにもその霊性を向上させようと努力されていらっしゃる方に起こります。 この種の痛みは、普段の生活中では気付かないものの、瞑想中やスピリットヒーリング後に顕著に感じるようです。 不安になって医療機関を受診してみても、お医者様からは原因不明とか異常なしとか言われてしまいます。 このような痛みを霊的な痛みと言っています。 かつてそのような痛みや病気に悩まされていた当時のことを思い起こさせ、当時の気付きの再確認を求めるものであったり、現在の自分と昔の自分を比較させて何かを教えたりするために起こります。 一旦停止のサインです。 肉体的な障害はありませんから、何かに気付いたり、しっかりと内省するとスーッと痛みは引いていきます。 ただしこの一旦停止のサインを看過し続けると、振り出しに戻って再び病気に煩わされる場合もありますので、よくよく自分自身を点検することが大切です。 逆説的かもしれませんが、霊的な痛みを経験される方は、霊的成長をしている証拠だと思われると良いでしょう。

ひとりの探求者として

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ひとりの真理探求者として、宇宙の法則だとか、霊界の真実だとか、己の内面の成長のための必要条件だとか、そういうことには興味があります。 真理へのアプローチの方法は数多くありますので、その人それぞれに適したもので極めていただければ良いことと考えますが、その数多くある真理へのアプローチ方法の中で、私自身今の所最も得心がいき、真理探究初心者の方に勧めることができるものは、スピリチュアリズム(浄化潮流)と呼ばれているものです。 ミディアム(霊媒)と呼ばれる霊能者を通して、亡くなった身内から霊界の真実が伝えられたり、あるいは高級霊と呼ばれるソースから高尚な人生訓がもたらされたり…と、死後のことや目に見えない世界のことは、そこの住人に尋ねるのが一番わかりやすい。 私自身は、 あちらの世界から伝えられる話の内容の信憑性だとか高尚さ の方に興味の大半があり、その話の内容は自らを省みる材料にしたいと考えています。 ですからミディアムに関しては、人としてそれなりの徳性や社会性を備えている方かどうかということが私の一番の関心事です。 ところが一部には、伝えられる内容やミディアムの人間性はそっちのけで、ミディアムの能力やエンターテイナーぶりにばかり目が向いている方もいらっしゃいます。 「△△さんは面白い」「〇〇さんはちょっと」と、まるで役者を品定めするかのように… ミディアムの中にも、そういった下衆な評価を気にするばかりに、自らの内面の成長を置き去りにして、ひたすら能力開発だけに精を出す人間がいることも残念ながら事実です。 フランスにおけるスピリティスムの創始者と言われているアラン・カルディックは述べています。 「良い霊媒とは、容易に霊界とつながることができる者のことではない。高尚な霊人とコンタクトできるのが良い霊媒である」 と。 高尚な霊人とコンタクトできるようになるにはどうしたら良いのか…、大いに内省を促したい… 自戒を込めて。