何を食べたら良い?
クライアント様や受講者様から様々な質問を受けますが、その中でも「食べ物」に関するテーマは結構な頻度で尋ねられます。 肉体の健康のため、精神的な健康のため、霊的な健康のため、と質問される方は様々なレベルで質問を投げかけてきます。 私は医療系の免許を持っておりますが、食の専門家ではないので、あくまでも自分の体験や医学的文献からの引用で答えざるを得ませんが、私なりに一定の見解を持っています。 結論から言うと「体の声をよく聞いて、体が必要としているできる限り自然な食べ物を、感謝して召し上がってください」ということになります。 この飽食の時代、若い方などは特に顕著ですが、「食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べる」というのが一般に見られる光景です。 精神性が肉体の欲望に負けている状態といっても良いでしょう。 しかし流石にそういう生活をしていると、年齢を重ねるにつれて肉体のあちこちが悲鳴をあげ始め、ある程度の節制を余儀なくされるものです。 そしてこう思うのです「あの時、もう少し考えて食事を摂っていたら…」と。 一方で、ご自身の内面性とか霊性に目を向け始めた方は、食材が発するバイブレーションに対して敏感になっていくようです。 するとそういう方達の中には、自分の内面的な平和を守ろうと、動物が持っている荒々しいバイブレーションを避けるために菜食主義に傾いていく方もいらっしゃいます。 肉体の欲望をある程度コントロールできるようになったレベルと言えますが、まだ発展途上です。 東南アジアなどの仏教国で見られる出家僧たちは、托鉢をして在家信者からその日の食べ物をいただきます。 出家僧には好き嫌いをすることは許されず、いただいたものは全てお腹に納めなければなりません。 これは食欲が悟りの修行を邪魔しないよう、食べ物に対する執着を捨てさせる訓練なのです。 私も一時期食べ物にこだわっていた時期がありましたが、ある日、こだわるということは何事も自分の我だとか、執着から生じていることなのだと気づくことができました。 その日以来、より視野を広げて食事を摂ることを心がけるようになりました。 私たち人間が生きるために、食材が差し出してくれた命に優劣はつけられません。 菜食主義も悪くはないですが、より大きな視点から見るといずれ卒業すべき課題です。 一方で、年齢を重ねるにつれ、自然に苦手になっていく食材があ