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霊媒(ミディアム)の選び方

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 数あるスピリチュアルのようなものの中で、サイキック(超能力)を利用したものには注意が必要であるという事は以前の記事で述べさせていただきました。  更に、スピリチュアルという言葉の本当の意味は「霊」に関わるものだけであって、その中でも宗教性を持ったもの、つまり霊媒現象からこの世の正しい生き方を説いているものだけが真のスピリチュアルと呼ぶにふさわしいとも述べました。  霊媒現象を引き起こす人物(霊媒とかミディアムとか呼ばれます)も超能力者の範疇に入りますが、他の超能力使いの人物と同様に、善人もいれば悪人もいますし、奉仕精神が豊かな方もいれば守銭奴もいます。ですので心の拠り所や人生の指針を求めてスピリチュアルに興味を持ったあなたは、充分に彼らの人間性を吟味して付き合う必要があります。更に言えば霊媒(ミディアム)と霊界の間には一種独特の関係性が働いていますので、霊媒選びではより一層あなたの眼力を養う必要があるのです。  その関係性には様々な形がありますが、一つの例を挙げれば「親和性の法則」というものがあります。この法則を詳しく説明するにはそれ相応の文字数なり時間が必要ですから、ここでは簡略的にざっくりと「類は友を呼ぶ」という位の解釈をしていただければよろしいかと思います。  あなた自身も利害関係のない普段の友人関係などでは、きっと「気の合う」かたや「趣味や好みが同じ」かたとお付き合いしていることが多いと思います。霊媒と霊界に住む霊(スピリット)との関係性もこれと同じことが言えます。スピリット側から見ると、彼らは私たちが住んでいる現世とチャンネルを開きたいとの思いを持って霊媒を探し、自分にフィットする霊媒を選択しています。この時、両者には親和性の法則が働き、良くも悪くもスピリットが持つ性分と霊媒が持つ人間性の親近性によってお互いに引き付け合うのです。  すでに他界したスピリットではありますが、その性分は現世にいた時と何ら変わりありません。「亡くなったら仏になる」とか「亡くなったら神に近づく」などと既存の宗教や一部のスピ系では説いていますが、これは信者集めの方便に過ぎません。人間は亡くなった時の性分をそのまま携えて他界する事は数多くの霊界からのメッセージで確認されていることです。  私たちが今生きている現世は実に様々な人がいらっしゃいます。この多様な人々が肉体を脱ぎ捨てただけ

スピ系の選び方

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 「スピリチュアルのようなもの」あるいは「スピリチュアルのようなものに関わっている人」を指して、巷の人は侮蔑を込めて「スピ」とか「スピ系」と呼んでいます。まともなスピリチュアルは決して侮辱されるようなものではないので、このように呼ばれる事はとても残念ですし、世の中の無理解に対して悲しい気持ちになってしまいます。 スピリチュアルのようなもの一覧 参考記事  しかしながらこの「スピ系」という言葉も、時には便利に使えることがあります。「スピリチュアルのようなもの」と述べるよりは「スピ系」と言った方が世の中の多くの方が抱いている「怪しげなスピリチュアル」というニュアンスを的確に表現できるからです。ですのでこれから時々はこの「スピ系」という言葉を利用させてもらおうと考えていますので、読者の方、まともなスピリチュアルに携わっている方のお許しをいただきたいと思います。  さて、あなたがスピリチュアルに興味を持った理由の一つに、これまでに学校、家庭、社会や職場で学んできた知識や受けてきた教育では対処できないような、あるいは物足りないような現実を目の前にされているということもあるかと思います。かつての私自身もそうでしたし、これまでにご縁があって私の所を訪ねてこられた多くの方が同じ様なお悩みを、内容は様々ですが、抱えていらっしゃいました。  スピリチュアルな事に興味を持たれる事は悪いことではありませんが、このブログで何度も述べているようにその選び方には注意が必要です。そしてスピリチュアル選びにおいては、 あなた自身の考え方ももう一度見直してみる必要があります。  誰が何と言おうと「あなたの人生はあなたが主役」という意識を忘れないようにしましょう。あなたには物事を自由に決めることができる自由意志と呼ばれるものがあり、人生の分かれ道で右に行くのか左に行くのかはあなた自身で決めることができます。右の道を選んだらその道なりの山があり谷があり、紆余曲折がある事でしょう。左の道を選んだとしても同様に様々な起伏がある事でしょう。そして人生では、選んだその道を通る中で、あなたが何を学び、何を人間性の糧としていくのか、人柄をどう養っていくのかというプロセスと結果が大事な意義を持っているのです。  何か問題を抱えていらっしゃって、人生の行き先が見えなくなっていたり、どのように道を辿っていけば良いのかわから

超能力とスピリチュアル

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 心の拠り所や人生の支柱を求めて「スピリチュアル」に興味を持ったあなた、そんなあなたを惑わす厄介なものに「サイキック」があります。スピリチュアルに似ていて、まったく霊的ではありません。賢い消費者になるためには、正しい知識と眼力が必要です。  例によってサイキック(psychic)を 英英辞典 で調べると、「理由を説明することができない奇妙で驚嘆する物事を起こす人間の精神力」「他人が何を考えているか、あるいは未来に何が起こるかということがわかる能力を持った人物」「肉体よりも精神に影響を与えること」というような意味がでてきます。  ちなみにこの分野の 英和辞典 の訳は当てになりません。比較していただければわかると思いますが、英英辞典には無い意味が付け加えられていたり、そもそも日本語でもよくわからない訳がついていたりしてかえって混乱してしまいます。  さて、サイキックという言葉をよく知られた日本語にすれば「超能力」という意味になります。上述した英英辞典に載っているサイキックの意味をみていただければご理解いただけると思います。超能力とは、現代の科学では説明しきれない事象ということになりますが…、他人の過去や心を読んだり、封筒の中身を透視したり、スプーンを曲げたり、何らかの物質を出現させたり、自分のエネルギーを他人に移して元気にさせたり、同じく他人を動かしたり…とその不思議な現象は数え上げたらキリがありません。  しかしこれらの不思議現象はあくまでも私たちが生きている地上世界にある法則や仕組みを利用して起きているものです。理性的に考えられる方であれば、きっちりと論文にすることはできないまでも、現象が起きる仕組みの仮説を立てることは可能であります。そして近い将来、量子論分野がより発展して普通の人々の常識となるような日がくれば、これらの事象は理論的に証明されることとなり、全く不思議なもので無いことが明らかになっていくに違いありません。  現在は3Dプリンターが当たり前のように存在していますが、50年前の人々に3Dプリンターを見せたとしたら、摩訶不思議な物質化現象と捉えるかもしれません。これと同様に未来の住人は、現在の不思議を全く当たり前の事として受け入れているかも知れないのです。  ですから超能力の使い手を特別視したり、崇拝するようなことがあっては危険なのです。超能力と呼ばれてい

スピリチュアルのようなもの一覧

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 賢い消費者になるためには、正しい知識と眼力が必要です。  日本でスピリチュアル全般が胡散臭くなってしまった原因の一つに、「スピリチュアル」という言葉の曖昧さがあると言って良いでしょう。2000年代にスピリチュアルカウンセラーを名乗る人物がブレイクしたことで、「スピリチュアル=儲かる」といったような風潮が出来てしまい、貪欲な人物たちが何でもかんでも「スピリチュアル」を名乗って参入してきました。結果として、五感では捉えきれないものの全てに「スピリチュアル」と絡めて名付けが行われたといって良いくらいです。この事実は、後世のために記憶と記録に留めておくべきです。  スピリチュアルという言葉を英語圏の人々は実際のところどういった観念で用いているのでしょうか?  spiritual を英英辞典で調べると「宗教に関するもの」という意味が出てきます。世界の主な宗教は、死者(霊)を供養し、死後世界を説き、それを踏まえてこの世の正しい生き方を説いています。つまり宗教とは霊に関係していることです。  同じ英英辞典では、spiritual のもう一つの意味に「肉体や精神ではなく、霊に関するもの」という記述があります。スピリチュアルとはずばり霊に関するものなのです。精神活動も五感で捉えきれないものですがこちらに spiritual と名付けるのは見当違いなのです。精神的なものには mind とか mental を使用するのが正しいのです。  参考までに私が今までに見聞きしたものの中で「スピリチュアル」に関係があるように喧伝されていたものを図にまとめてみました。  実にたくさんありますが、これらの中で本当の意味でスピリチュアルと呼べるものは霊的なものだけなのです。霊視、霊聴、霊界通信など、いわゆる霊媒現象に関わるものだけが本当の意味でのスピリチュアルなのです。そしてその中でも宗教性を持ったもの、つまり霊媒現象からこの世の正しい生き方を説いているものだけが spiritual を名乗るにふさわしいと考えます。  であるのに霊的なものとは一切関係ないものに「スピリチュアル」を名乗るわけは、携わっている本人がスピリチュアルの本当の意味を知らずにあるいは区別もできずに名乗っている場合もあるでしょう。そういった方たちはもしかしたら聞きかじりの浅い知識しか持ち合わせていないのかもしれません。あるいは全く