イエスの苦悩とマグダラのマリア
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霊的真理への理解が深まり、少しずつ愛を表現できるようになってくると、取り巻きが増えてくるのとは裏腹に、内面的には孤高になってしまう時期があります。 「真に理解してくれる人は何と少ないことか」と。 しかしながらあのナザレのイエスでさえも、その人間としての生涯の中で、すぐ近くにいる弟子たちですら自分を理解してくれない、と嘆いたのです。 イエスの苦悩は、神的存在になるために必要な試練でした。 唯一マグダラのマリアだけが、イエスの苦悩の理解者でした。 彼女の存在自体がイエスの心の癒しであったのです。 あなたにもすぐ近くに理解者がいるのではありませんか? あなたは幸せ者ですよ、感謝しましょう。