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20歳のハローワーク その2

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前回は求職している側の話題でしたが、今回はある企業で大卒の新卒者採用に関わっているクライアント様から伺った話です。 応募してきたある一人の女子学生に、一次面接で「尊敬する人は誰ですか?」という質問を投げかけたところ「祖父です。」という答えが返ってきたそうです。 その理由を尋ねたところ…、 ある日その女子学生は、「何のために生きているか」という質問をおじいさんにされたそうです。 ひとしきり考えた彼女は「うーん、人の役に立つためかな?」と答えたとのこと。 するとそのおじいさんは「修行のためだよ」と教えてくれ、さらにそれをきっかけとして人生の様々なことを話してくれたそうです。 彼女はおじいさんの人間性に感動し、それ以来尊敬するようになった。 とのお話でした。 スピリチュアリズムを勉強されてきたそのクライアントさんにとっては、絵に描いたような話であったそうですが、世の中にはこんな家族もいるんだなぁと感心されたそうです。 その女子学生の最終結果は知りませんが、もちろん一次面接は通過とのことです。 その家族の人間性の成熟度が窺われる話ですネ。 「人の役に立つ…」と答えた女子学生もすごいですが、「修行のため…」と教えたそのおじいさんも素晴らしい…。 子供は両親や家族を選んで生まれてくると言いますが、このおじいさんにしてこの子在りという感じです。 一人の学生の姿から垣間見える家族像も、採用の時の大切な要素のようです。

家事と瞑想

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脳科学分野の最近の研究では、認知症予防には家事をするのが良いとか…。 私も食事を作ったり後片付けをしたりすることがありますが、確かに食材を前にして献立を考える時には、想像力に創造力、それまでに食してきたものの記憶力、さらに段取りを組む企画力等など脳をフル動員しなければなりません。 食事後、食洗機に食器を入れる作業では、毎回違う食器の組み合わせを、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながらうまく庫内に納めなければなりません。 まるで食事が終わるたびに3Dパズルを解いているようなものですから、空間認知力や思考力が磨かれるように思います。 家事にさび付いた脳の働きを活性化させる作用があるのは間違いないと思いますが、個人的には家事には心の沈静化作用もあるように思います。 私が゙そう思う一つの理由は掃除や庭の手入れをしているときの体験です。 私だけかもしれませんが掃除や庭の手入れをしている時は無心になれるように感じます。 また、嫌なことがスッーと落ち着いていく感覚を覚えたり、懸案事項の考えがまとまったり、時にはインスピレーションが湧いたりすることもあります。 脳科学で言うところのアルファ波が出ている状態なのでしょう。 アルファ波は、心が安静な状態や深い瞑想状態などの時に観測されるものです。 見方を変えると身体は掃除をしながら、心は瞑想をしていると言えそうです。 僧が修行の一環として寺院内外の掃除を徹底的にするのは、それが座禅に似た作用をもたらすことを先人達が知っていたからなのではないでしょうか。 飛躍しすぎかもしれませんが、家事は悟りへの道の一つなのかもしれませんね。

20歳のハローワーク

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どういうわけかここ数週間、職業や進路について悩みを持つ20歳代前半のクライアントさん達との関わりを多く持たせていただいています。 私達が就職する頃は、職業に関する情報も求人の職種もそう多くなかったこともあり、何となく皆がそれなりのところに納まって社会人生活をスタートしたように思います。 もちろん当時でも特定の会社や職業にこだわって、就職浪人したり、定職を持たずにチャンスを伺うことにした人も少数ですがいました。 現代は「13歳のハローワーク」に代表されるように、職業に関する様々な情報を得ることができます。 またネットではたくさんの会社に関する情報(噂やデマの類まで!)もあふれています。 その結果か、仕事に就く前から頭でっかちになってしまい、チャレンジ精神が希薄になっていたり、逆に自分の足元が見えなくなって高望みしている若者が多いように見受けられます。 大学生や高校生への求人数そのものは堅調な割に、就職内定率が過去最低という現象は、なかなか現実を受け入れられない現代の若者の姿を反映しているように思います。 好きなことを職業にでき、それで自立できたとしたらこんな幸せなことはありません。 しかしながらそれを実現できている人は残念ながらほんの一握りです。 この世には修行に来ているので、魂の成長のためには好きなことばかりさせてもらえるとは限りません。 都市銀行や大手証券といえば私が就活していた頃の花形でしたが、そこに就職した同級生達は10年も経たないうちに経営破綻を経験しています。 「官」の道に行ったある同級生は、若くして突然死してしまいました。 人生は、将来何が起こるか予測ができないようになっています。 まずは自分自身をよく見つめ、できるところから、勇気を出して一歩前に進むしかないようです。