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スピリチュアルで自分探し

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 数あるスピ系の中でもニューエイジムーブメント(略してニューエイジと表記します)発祥は警戒すべきです。   ニューエイジはこれまで社会学者、宗教界、心理学者、精神医などから沢山の批判を浴びています。何事にも反対意見や異を唱える人物はいるものですが、ニューエイジがこれほど多くの批判を受けるということは、彼らの影響力の強さの裏返しであるとともに、一般の人が理性的に常識的に客観的に評価した時にどうしても受け入れることができない彼らなりの論理や思考、行動があるからでしょう。彼らが真実を扱っているのであれば大きな批判は受けないはずですから、客観的に評価すればマユツバものが多いとも推測できます。  ニューエイジ系のものに対してこのような否定的意見を言う私は、彼らからは「進化の遅れている人」とか「堅物」というレッテルを貼られてしまいますので、それ以上彼らと議論する余地は無くなってしまいます。彼らの多くは、「感じて下さい」とか「ハートで受け止めて下さい」とか「感性が大切」というように、あやふやな、なかば押し付けるような言葉を使って、相手に理性的に考えることをさせません。理性は神が私達人間に平等に与えてくれた能力であるにも関わらず、それを否定するのです。  事細かなニューエイジ批判は他の方の文献を参考にしていただければ良いので、ここではニューエイジの成り立ちを知っていただくことで、ニューエイジがもつ背景や彼らの思考の傾向を知っていただく事に重点をおきます。そうすることでまともなスピリチュアルなのか、気をつけるべきスピ系なのか、皆様の判断基準にしていただけたら良いかと考えます。  ニューエイジの起源は19世紀のアメリカに遡ります。当時のキリスト教界の厳格な教義や信条に対して「個人はもっと自由であるべきだ」という考え方を持った一派が現れます。この一派はニューソート(New Thought : 新しい考え方)と呼ばれました。ニューソートは今のスピ系にみられるように様々なジャンルから構成されていますが、当時の著名な哲学者の一人であるウィリアム・ジェームス氏は、ニューソートを「心の治療運動」と称しています。つまりは当時、個人の内面性に関わることに焦点を当てた様態は、ひっくるめてニューソートというジャンルに入れられていたといえます。ニューソートはキリスト教の禁欲主義的な信条からの解放を願う人々(...

スピ系の元祖

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 本物のスピリチュアルと、スピリチュアルのようなもの(=スピ系)の違いは他の記事で述べさせていただきました。ご理解いただける方にはご理解いただけると思いますが、多くの一般の方にとってはその違いはわかりにくいことでしょう。  一般の方は目には見えなくて何となく不思議な感じがするもの、そういったことに興味を持ったり関わったりしている人達を大雑把に「スピ系」と呼んでいます。しかし、スピ系という言葉を使う時に、そこにリスペクトの要素は無く、どちらかというと軽蔑や侮辱の気持ちがこめられています。  なぜ軽蔑されるのでしょうか?スピ系に関わっている方たちは胸に手を当てて見つめ直す必要があると思います。支離滅裂な論理、独りよがりな思想、浮世離れした考え方、エゴ丸出しの姿、セッションやクライアントに対する無責任な態度、やたらと現生利益を追求する姿勢etc、これらは時々私が耳にする一般の方々のスピ系に対する批判の一部です。  私たち人間が発展途上の未熟な存在である以上、こういったものは誰もが持っている資質ではあります。しかしながら世間の人たちは、スピリチュアルのようなものに携わっていて、人様からの相談に乗ったり癒しを提供するような人物に対しては、一般の方よりも高尚な人格であって欲しいと無意識的に望んでいます。望んでいた人格が幻想に過ぎなかった事を知った時、人はそれに失望し、その反動でそれ以降は軽蔑の対象にしてしまいます。  私の記憶によると、スピリチュアルという言葉が一般に受け入れられるようになってきた時期は西暦2000年前後だったと思います。スピリチュアルカウンセラーという造語を引っ提げてテレビなどのメディアに霊媒師が華々しく登場してきた時期と重なります。スピリチュアルという言葉をメジャーにしたのはこの霊媒師の功績とも言えますが、同時にその霊媒師の活躍する姿が「スピリチャルは儲かる」という誤解を世間に生み出し、さらには何でもかんでもスピリチュアルと関連付けるような事態を生み出してしまいました。  現在スピ系と揶揄されているものはかつては精神世界と呼ばれていたものと合致します。精神世界という言葉は1970年台から使われ始めたとされています。 本当のスピリチュアルは、霊媒現象に関わるものであってさらに宗教性を帯びているものです が、当時は、霊媒現象も、三代宗教も、世界の土着宗教に関する...

スピリチュアルで奇跡を起こそう!?

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 私こと、永年スピリチュアル業界に首を突っ込んできたお陰で、様々な方々が様々な形でスピリチュアルのようなものに関わる様子を見聞きする機会に恵まれました。  人が、スピリチュアルのようなものに興味を持ち、そして関わるようになるきっかけは本当にたくさんあります。オカルト趣味の延長で興味本位で関わる方もいますが、多数の方はご自分の身の上に問題が生じて、それを何とかして解決したいという思いで興味を持たれています。具体的な問題をお持ちの方もいれば、漠然とした将来への不安や、より自分らしさを発揮したいというような心の葛藤だったりします。  こういった方達の中に時々目にするパターンの一つとして、見えない世界に対して神頼み的な姿勢で関わり始める方がいらっしゃることがあります。何か解決したい問題や実現したい夢のようなものが、スピ系に関われば全てクリアになると錯覚されていらっしゃるのです。  例えば、ある親御さんが自分のお子さんの性格や行動に問題がありそうだと気付いたとします。理性的に考えれば、それなりのドクターの所で診察を受け、本当に問題があるのか、あるいはないのか見極めてもらうのが常識的な判断でしょう。そしてもし問題があるのなら専門家と共に治療に当たるのがベターな選択です。  しかし、この親御さんは現実的な問題を突きつけられることに恐怖心を抱いているとします。「この子に限って…」「もし障害が見つかったら…」「問題があったとしたら私のせいかも…」という思いが先行してドクターのところに行こうとしません。たまたまその方がスピ系に興味を持っていたりすると、昔どこかで聞きかじっただけの「先祖の因縁」とか「霊障」のせいだと決めつけてしまうようなことが間間あります。そしてそういったものが得意そうな能力者(霊媒に限りません)の戸を叩くことになります。  この能力者が常識的な人間であるのならばそれ以上問題になるようなことは無いでしょう。より現実的な対処法を提案し、目に見えない世界の力はあくまでも現実的な対処法をサポートする形におさめることでしょう。  運悪くその能力者が悪徳だったとしたら、相談者の不安や恐怖心をもっと煽り、その能力者に依存させるようなマインドコントロールをしてきます。結局その親御さんはお金を吸い上げられた挙句、お子さんは何も変わらないという結果に終わります。  この時その親御さんが目...

Q&A スピリチュアルの学びはどんな人に必要でしょうか?

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〈回答〉   巷でよく使われているスピリチュアルという言葉ですが、スピリチュアルでは意味が漠然としすぎますし、どうしても不思議現象にスポットライトが当たりがちとなってしまい適当ではありませんので、それらと区別するためにあえて「英国スピリチュアリズム 」を前提にしてお話しします。  19世期から勃興した英国スピリチュアリズムの功績は、霊界(死後の世界)の住人から、この世の人間が知っておくべき人生の意義や生き方について、とても示唆に富んだ情報がもたらされたことにあります。その情報は現在でも「霊界通信」というジャンルで様々な書籍に遺されていますし、そのような情報を霊的真理と呼んでいます。   スピリチュアリズムでも霊現象とか霊能力も多少扱いますが、それらはあくまでも傍流 であって、 スピリチュアリズムの本流は、霊界通信によってもたらされた、 「人生をいかに生きるか」「人生につきものの試練にどう取り組むか」「どうやって人生を意義あるものにするか」 といったような生き方の指針(霊的真理)にあります。  私がスピリチュアリズムに本格的に取り組むようになったのも、それまでの人生で一番大きな人生の壁にぶち当たったのがきっかけでした。スピリチュアリズムがもたらした霊的真理は、私にとって大きな救いとなり、おかげでその壁を乗り越えることができました。それから30年近くの歳月が流れましたが、霊的真理は今でもなお、私に大切な事を教え続けてくれています。  スピリチュアリズムの学びは老若男女を問わず、学ぶ意欲がある方なら誰にでも有意義なものになると思います。現に私の講座には様々な年齢、様々な職業の方が学びに来ていらっしゃっています。 特に 「 内面性の大切さに気づいていらっしゃる方」 「現在、壁にぶち当たっている方」 「人生の岐路に立っていらっしゃる方」 にとっては、得るものが大きいことでしょう。

スピリチュアルでもっと幸せになれるのか?

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 スピリチュアルに関わって幸せになれるのか?  答えはイエス。ただし、 本物のスピリチュアルに出会う幸運に恵まれ、学んだ事を実践できるだけの意欲があれば… 、という条件が付きます。  幸せの捉え方は人それぞれであるものの、逆説的に考えると、 「幸せとは不幸に思うことが起こらない状態である」 、と言うことができるでしょう。人生では様々な事象が起こりますが、それらを 必然と考えることができて、事象によって自分の心があまり乱されず、今に感謝できるようになる ことができれば、不幸に思えることは減っていきます。  本物のスピリチュアルはその手法、考え方、仕組みを教え示してくれているので、それらを自分のものとすることができれば、 不幸に思わないことが増えていく=幸せ となります。  であるのに、スピリチュアルのようなものに関わっているいわゆるスピリーダーやライトワーカーと呼ばれる能力者の中には「あなたはもっと幸せになれる」という謳い文句で集客をしている現状があります。  少し立ち止まって考えてみて欲しいのですが、あなたは本当に不幸のどん底なのでしょうか?今の自分を取り巻く状況は全て否定しなければならないような状態ですか?スピリチュアルのようなものにお金を出せるだけの収入があるのにそれ以上のものを望む必要があるのでしょうか?何が不足や不満の根本原因なのか考えたことはあるのでしょうか?  多くの人間が持っている 恐怖心や不安な心に訴えかけ、相手を思考停止状態にした上で、自分の利益に誘導する手法 はよく知られた悪徳商法の手口の一つです。これと似たような手口で、相手の貪欲さに付け込むというものもあります。  貪欲さは恐怖心と同じく、多くの人間が持っている弱みであります。こうしたら宝くじに当たる、こうすれば株で大儲けできる、みたいな謳い文句はよく知られた低俗な方法ですので、良識のある人にはさすがにこういった手口は通用しません。そこで彼らが編み出したのは「あなたはもっと幸せになれる」という謳い文句です。  「幸せ」はとても漠然とした言葉ですし、幸せという言葉からイメージするものは、人間関係の改善、財産の増大、自己実現、パートナーとの出会い、仕事の充実、内面的な豊かさなど、人によってバラバラでしょう。「もっと幸せになれる」というフレーズには、曖昧さゆえに人間の貪欲さを刺激するスパイスが散りば...