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諦めること

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壮年期が過ぎて中年期に入ってくると、肉体的な衰えを否応なしに感じるようになります。 一日はあっという間に過ぎていきますが、その一日はかつての一日とは違い、やれたことの量が減っているような気がします。 要は思考や動作がスローになってしまったということでしょう。 頭には白いものが目立ち始め…、近くの小さなものが見えにくくなり…、体の不調や傷なども治るのに時間がかかり…と、まさか自分がこんな風になってしまうとは若い頃には思いもしませんでした。 時間を戻すことはできないですし、外面的な若さを追い求めても所詮限界があります。 先日ある方のセッション中にメッセージが届きました。 「歳をとるということはいろいろなことを諦めることです」 「諦めることが謙虚さを生み、謙虚さが執着から離れることをもたらし、執着を離れることが自分自身を自由にします」 「諦めることで人間としての本分は何かということがわかります」と。 諦めることイコール投げ出すという意味ではないようです。 「歳をとる」ということは、この世的なものに執着をしている自分自身を見直すために与えられた霊界からのありがたい配慮と言えるかもしれません。 現実は受け入れるしかないですね。 事実、いい意味での諦めの境地で自分自身や身の回りを見直してみると、それだけで心が解放されるような楽な気持ちになることができます。 おかげで、自分が若くモテた頃の外見を引きずったり、見た目の若さに執着して周囲に痛々しさを与える老人にならないで済みそうです。 メッセージをくださった御人に感謝ですね。

苦労の大きさ

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「あなたは苦労をしてないからねぇ」「あの人は凄い苦労をしているのに…」「なんで私だけこんな苦労をしなければ…」等々、日常の中で苦労に関係する会話は頻繁に聞きます。 しかしながら他人の困難や苦労を傍から見て、その大小軽重を比較をする事には少々違和感を覚えます。 まず、困難、試練、苦労といったものはその方の内面的な成長のため、必要があって起きている事であって、理由もなく降りかかる災いではありません。 そしてその困難や苦労からその方がどんな事を学び取るかということが、何よりも大切な事です。 小さな困難から深い学びを得る事ができる方もいらっしゃいますし、残念ながら大きな困難に遭遇しても何ひとつ学びとれない方もいらっしゃいます。 ある困難に直面しているAさんですが、傍から見るとその困難は大したものではないように思えるかも知れませんが、Aさんからするととても重荷に感じているのかも知れません。 あるいはAさんは小さな困難の中に大きな学びを得る事ができる方なので、あなたが考えるような大きな困難が必要ではない方なのかも知れません。 苦労の感じ方は人それぞれに違いますし、苦労から学び取る力も人それぞれです。 この世に生きている人の中に、一生懸命に生きていない人は誰ひとりとしていないと思います。 一人一人がそれぞれの環境の下で、それぞれの課題を乗り越えようと心に葛藤を抱きながら懸命に生きていらっしゃいます。 困難、試練、苦労といったものに大小軽重をつけることによって、他人や自分を審くような態度の方に問題あり、ではないでしょうか…。