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9月, 2010の投稿を表示しています

オーラのある人、無い人

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テレビ番組の中や、あるいは一般の会話の中でも「あの人はオーラがある」とか「ない」とかお話されているのを耳にします。 お話されている方はオーラが見えているわけではないようですが、何となくそれを感じられるのでしょう。 しかし残念ながらオーラの無い人はいません。 「オーラがある」と評価されている方は、単純にオーラが大きいということだけを話されているようです。 オーラはその人の内面や体調を反映するものですから、一般的に言って、普通の人よりも体力があり野心的な人のオーラは大きくなりますし、その反対は弱々しく小さくなってしまいます。 またオーラを治療して心身を健康にするというのは理論上成り立たない話で、心身が変化したからオーラが変わるものです。 オーラが話題になった会話では、オーラがある(大きな)人が尊敬の対象となり、オーラが無い(小さな)人が蔑まれるような風潮ですが本当にそれで良いのでしょうか? オーラの大小も大切かもしれませんが、本来目を向けられるべきはオーラの質であります。 私でしたら、大きくても汚れて冷たいオーラをしているよりは、並の大きさで良いので、美しく暖かく清々しいオーラを目標にしたいと思っています。

個性のひとつ

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東京で自称ヒーリング団体の霊能者が、傷害容疑で逮捕されたようです。 2,3年位前にはヒーリングサロンを隠れ蓑にして霊感商法を行なっていた団体が摘発されたのは記憶に新しいところです。 この手の報道があると必ず、「先生の所に悪い影響があるんじゃなぁい?」と心配してくださるクライアントさんがいらっしゃいます。 ありがたいことです。 そもそも霊感なんていうものは、万人が持っているものです。 視力の良い人がいれば悪い人もいますし、嗅覚の利く人とそうでない人がいるように、霊感にも強い人とそうでもない人がいるだけの違いです。 いってみれば個性のひとつに過ぎません。 視能者や嗅能者という言葉が無いことからわかるように、世間は霊感のある人を霊能者と呼んで特別視しているだけのようです。 その特別視する風潮が霊感の強い人に勘違いを起こさせ、その能力に自分自身が溺れてしまい、更には自分は何か特別な存在かも知れないと思い込んでしまうことで悲劇が始まります。 いわゆる霊能者といわれる方々は、厳しく自分自身を律していかないと、簡単に足元をすくわれ、道を踏み外しかねません。 と同時に、霊感の強い人を特別視する風潮も改められる必要がありますね。 どんな業界でも悪いことをする輩はいるものです。 ヒーリングを名乗る個人や団体の不祥事は、クライアントさんが心配してくださるように決して対岸の火事ではありません。 しかしその反面、現在の玉石混交の状態から、偽者や悪徳業者が淘汰されていくことは社会が健全な方向に向かっている証拠でもあると考えております。

不愉快なのは誰のせい?

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とある営業職の女性から聞いたお話です。 その女性はお客様のニーズを聞きながら提案型で商品を売っている方です。 女性によると、色々なお客様がいらっしゃっるが、どうしても対応に差が出てしまうと正直に話していらっしゃいました。 礼儀正しくて人当たりが良く、控えめな態度のお客様に対しては、何とかより良いものを提案し、サービスも目一杯してあげようという気持ちになるそうです。 反対にマナーが悪かったり、態度が横柄だったり、客という立場にあぐらをかいているような人に対しては、サービスをする気は全くおきないし、そこそこのものでお茶を濁し、あわよくばお引取り願おうと思うそうです。 女性はそんな自分の体験から、自分自身は何処に行っても良い客であろうと心がけていらっしゃるそうです。 この話をうかがって、私はハッとしました。 自分自身は今まで良い客であっただろうか?あの店に満足できなかったのは、自分に非があったのではないだろうか?等など、色々と考えさせられました。 人を不愉快にさせる行為は結果として自分自身が損をしているんですね。 お店に限らず、家族、職場、コミュニティ等においても、相手を慮り、同じ人間としてお互いの立場を尊重していくことが大切なのですね。