スピリチュアリズムの学び方

 スピリチュアル界ではマイナーに思われがちなスピリチュアリズム。私もずっとそうだと思い込んでいました。しかしながら、ネット検索で見つけて個人セッションを受けに来られる方にインタビューしてみると、意外や、スピリチュアリズム関連の知識を持たれている方や霊的な体験をされている方が多数。

 興味本位でいらっしゃる方は皆無で、皆さんそれぞれに人生の岐路で思い悩んだ末にたどり着いたご様子です。多数派とは言えないまでも、世の中の心ある方に、ひっそりとじんわりとスピリチュアリズムって浸透しているんだなぁと認識を新ためる経験をさせていただいています。

  スピリチュアリズムの勉強というと、他のスピ系と混同されることが多く、超能力開発や霊能開発ばかりやっているように誤解されがちですが、現実は違います。 確かにそういった不思議な能力を持った人がスピリチュアリズムの普及に一役買っているのは事実です。しかしながら、言い過ぎかも知れませんが彼らは広告塔の役割を担っているに過ぎません。

 スピリチュアリズムの学びの本質は、現実世界での「生き方」を学ぶ事です。その際お手本になるのが、スピリチュアリズムの長い歴史の中でもたらされてきた「霊界通信」の数々です。その中でも高尚な存在からもたらされた「霊訓」と呼ばれるものが教科書的なものと言えるでしょう。

 

 三十年近く前、私は、マネジメントゲームの創始者のお一人である西順一郎先生の下でマネジメントを学んでいた時期があって、当時、西先生に薦められるままに様々な「霊界通信」を読んでいました。とても為になる内容が書かれていることはわかりましたが、その頃の私が、その内容に得心していたかどうかというと、疑問符がつきます。 数々の為になる文章は、知識として記憶の片隅にしまいこんでいました。

 その後、山本貞彰先生の下でスピリチュアリズムをより深く学ばせていただく機会に恵まれました。山本先生には知識を付けていただいたのは言うまでもなく、さらに先生のご指導をいただきながら、目の前に湧き起こる様々な現実の問題に、スピリチュアリズムの智慧を活かして対処していくことも学ばせていただきました。

 山本先生の下で何年かご指導いただいているうちに、本当の意味でスピリチュアリズムの智慧が役に立ち、さらに自分のものになったと言えるようになりました。それ以来スピリチュアリズムがもたらした生き方の智慧は私の伴侶であり、バイブルとなりました。当時、共に思い悩み、そして共に学んだ方々の何名かとは、今でも心友と呼ぶことができる存在でいます。

 私のような体験ができた方、あるいはしている方は本当にわずかだと推測します。昔の私がそうであったようにスピリチュアリズムに興味を持って学ばれている方は、霊訓を教科書のようにして独学で学ばれていらっしゃる方が多いことでしょう。

 でも敢えて言いますが、ぜひ「共に学ぶ」仲間を求めて下さい。

 なぜなら、独学は自己流の解釈になりがちで、他人を、さらに自分自身をも裁いてしまうことが多々あります。そういう態度は寛容さを求めるスピリチュアリズムの道から外れてしまいかねません。

 スピリチュアリズムがもたらした数々の霊訓の内容は素晴らしいものですが、多くは百年近く前の主にキリスト教徒に向けられたメッセージです。その内容はキリスト教の背景を踏まえながら、さらに現代にアップデートしながら読まないと、誤解を生じたり、本質を理解できないままになってしまいます。

 また同じ事柄を述べているのに、それぞれの霊訓によって様々な表現方法が採られていることが多いものですが、その共通点や相違点はしっかり理解しておかないと、読めば読むほど訳がわからなくなってしまう迷路にはまりかねません。

 反対に一人のスピリットの霊訓を金科玉条のごとく崇め奉ったり、その霊訓の記述に執着してもいけません。高級霊といえども神ではありませんので、「絶対」はあり得ないのです。

 さらにスピリチュアリズムがもたらした霊的真理の知識があるだけでは霊性進化とは言えません。学んだ真理を生活の中に落とし込んでこそ、です。

 スピリチュアリズムを謳いながら、現実世界での「生き方」を学ぶことは脇に追いやって、霊能開発だけに熱心な団体がありますね。しかしながら、安直な霊能開発は人生の道を誤るリスクだらけです。

 霊能はスピリチュアリズムの正道を歩んだ結果として自然に発露してくるものですので、初めに自分自身の生き方を整えるところに主眼が置かれなければ正統スピリチュアリズムとは言えません。まずは自分自身を整えるということが霊性進化につながり、その霊性進化の結果として、スピリチュアリズムの広告塔としてのお役目が回ってくるものなのです。

 スピリチュアリズムの本質を自分のものにする為には、初めに、現実世界での「生き方」を学ぶことができる場を求めて下さい。そして、繰り返しになりますが、「共に学ぶ」仲間を求めて下さい。

 僭越ながら私は、自分が経験したように、良い仲間に恵まれ、切磋琢磨しながら、助け合いながら、スピリチュアリズムがもたらした叡智を学べる場、実践できる場を創って行きたいと願っています。



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