ストレスと虚無感は違います
ストレスの語源を調べると、「外界からの肉体的・精神的負担となる刺激に対して、引き起こされる生体機能の変化のこと」とあります。
古代の人間が狩猟に出かけた時に猛獣に出くわすと、アドレナリンが分泌されて、心拍数や血圧は上がり、瞳孔が開き、手に汗を握って身体が戦闘モードになるような状態です。
現代でも、職場や家庭の中で嫌なことがあったり、プレッシャーがかかるような事があるとこのような状態になりうることは誰もが経験されていることだと思います。
中には実際に闘う人もいるでしょうが、多くの人は本当に闘うわけにはいかないので、この状態をほかの方法で解消しなければなりません。
それがスポーツだったり、旅行、趣味、買い物 etc …といったその人なりのストレス発散方法です。
しかし何でもかんでもストレスと呼んでいる現状の社会には違和感を覚えます。
いうなればストレスとは凸の状態で、出っ張った部分は発散して解消するもの。
逆に人は心が凹の状態のときもあるわけで、へこんだ部分は埋め合わせをしなければなりません。
凹の状態をストレスと呼ぶのはふさわしくなく、虚無感とでも呼ぶほうがしっくりきます。
なのに凸も凹も「ストレス」という言葉でひとくくりにするから道に迷い始めるのです。
凹の時に、凸の時のような対処法をやっても凹は解決しないのに、それが分からずに、これでもかこれでもかと「趣味中毒」のような状態を作り出しているような方もいらっしゃいます。
一方で、凹の埋め合わせのために、ギャンブル、酒、タバコ、薬物、セックス、…といったような刹那的な快楽に走ってしまう方もいますが、これらが虚無感の根本的な解決方法になるわけがありません。
虚無感という凹を埋めるには、なぜ生きているのか、そしてどう生き抜くのかという人生の根源的な指針が必要だからです。
ヒーリングや学習会をとおして、クライアント様にその指針をご提供できるようにと願い日々取り組んでおります。