スピリチュアルブームとスピリチュアリズム
「なぜ生きるか、どう生きるか」という悩みは人類永遠のテーマのようです。
その奥深いテーマの答えは、「真理」という形で、先達たちが折に触れて指し示してきました。
およそ2500年前にはインドでゴータマ(ブッダ)が…、その約500年後にはイスラエルでイエスが…、さらに500年後にはサウジアラビアでムハンマドが…というように。
しかし、時を経てそれぞれが組織を持つようになると、原初の頃の教えは色褪せてしまい、組織維持のために都合のいいように改ざんされていきました。
そのような状況下においても、真理普及のための動きは続き、18世紀のスウェーデンボルグ、19世紀のスピリチュアリズムと変遷していきます。
21世紀の現在でもスピリチュアリズム(米国ではスピリティズム)が底流をつくり、日本では昨今のスピリチュアルブームにその一端を垣間見ることができます。
ただそのスピリチュアルブームがスピリチュアリズムの本質を見えにくくしていることも残念ながら事実です。
その上、最近では真理を伝えるための一つにのカテゴリーに過ぎないスピリチュアリズムを、財団法人格の組織にして、特別な権威付けをしようとする人物すら出てきました。
まるでその組織に属しているものだけが本物であるかのようなニュアンスです。
これでは過去の宗教がたどった誤った道を、後追いしているだけです。
私自身スピリチュアリズムからたくさんの事を学ばせていただきましたし、便宜上このカテゴリーを使ってお話させていただくこともありました。
しかし世の中には、無宗教でも霊的に高尚な人生を送っている方がいらっしゃいますし、スピリチュアリズムを知らなくても愛に生きていらっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。
そろそろスピリチュアリズムというカテゴリーの扱いを見直す時代に入ってきたのかもしれません。