理想ばかりでも… リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 7/15/2011 この世に完璧な人なんかいません。自分自身だって完璧じゃない…。完全じゃないからこの世に修行に来てるわけで…。完全じゃない人間が作る家庭、会社、自治体、政治、経済、社会、国…。自分の理想どおりじゃないからって不平を述べても始まらない。不完全な自分自身とか、社会の不完全さを率直に受け入れて、それを理想に近づけようと努力することのほうがよっぽど建設的。この世に生まれた目的を達成するためにも…。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ
スピリチュアリズムの学び方 7/25/2022 スピリチュアル界ではマイナーに思われがちなスピリチュアリズム。私もずっとそうだと思い込んでいました。しかしながら、ネット検索で見つけて個人セッションを受けに来られる方にインタビューしてみると、意外や、スピリチュアリズム関連の知識を持たれている方や霊的な体験をされている方が多数。 興味本位でいらっしゃる方は皆無で、皆さんそれぞれに人生の岐路で思い悩んだ末にたどり着いたご様子です。多数派とは言えないまでも、世の中の心ある方に、ひっそりとじんわりとスピリチュアリズムって浸透しているんだなぁと認識を新ためる経験をさせていただいています。 スピリチュアリズムの勉強というと、他のスピ系と混同されることが多く、超能力開発や霊能開発ばかりやっているように誤解されがちですが、現実は違います。 確かにそういった不思議な能力を持った人がスピリチュアリズムの普及に一役買っているのは事実です。しかしながら、言い過ぎかも知れませんが彼らは広告塔の役割を担っているに過ぎません。 スピリチュアリズムの学びの本質は、現実世界での「生き方」を学ぶ事です。その際お手本になるのが、スピリチュアリズムの長い歴史の中でもたらされてきた「霊界通信」の数々です。その中でも高尚な存在からもたらされた「霊訓」と呼ばれるものが教科書的なものと言えるでしょう。 三十年近く前、私は、マネジメントゲームの創始者のお一人である西順一郎先生の下でマネジメントを学んでいた時期があって、当時、西先生に薦められるままに様々な「霊界通信」を読んでいました。とても為になる内容が書かれていることはわかりましたが、その頃の私が、その内容に得心していたかどうかというと、疑問符がつきます。 数々の為になる文章は、知識として記憶の片隅にしまいこんでいました。 その後、山本貞彰先生の下でスピリチュアリズムをより深く学ばせていただく機会に恵まれました。山本先生には知識を付けていただいたのは言うまでもなく、さらに先生のご指導をいただきながら、目の前に湧き起こる様々な現実の問題に、スピリチュアリズムの智慧を活かして対処していくことも学ばせていただきました。 山本先生の下で何年かご指導いただいているうちに、本当の意味でスピリチュアリズムの智慧が役に立ち、さらに自分のものになったと言えるようになりました。それ以来スピリチュアリズムがもたらし Read more »
死を考えることは生き方を考えること 10/22/2022 ある日のワークショップ。 瞑想の時間に、ある受講生の方が「私はどう死にたいのだろう?」という所に初めて意識が向いたとお話ししてくれました。 その時点ではその方は答えを得られていないようでしたが、近い将来にきっとその方なりの理想像を得ることができると思います。 とても良い視点を持たれたことで、これからの人生をより充実させることができることと思います。 「死を考えることは生き方を考えること」でもあります。 私たち人間は否応なく死に向かって人生を歩んでいます、例外はありません。 今世の卒業式である「死」の瞬間をどう迎えたいのか、更に言えば、死後にどういう境遇でありたいかということを考えることはとても有意義なことです。 理想の死に方をイメージするのが難しければ、どんな死に方は避けたいかを考えても良いでしょう。 例えば… 長い闘病生活は嫌だな… 介護で世話をかけるのも申し訳ないな… 遺品整理で面倒をかけたくないな… 孤独死は嫌だな… 自分が死んだ事を喜ばれるのは悲しいな… etc そして、避けたい死に方の反対が理想の死に方になります。 できるだけ長く健康で、何かの役に立っていたいな… 亡くなる直前まで自分のことは自分でできるようでいたい… さっぱりと清々しい気持ちで最後を迎えたいな… 少人数で良いから見送られながら逝きたいな… 少しは惜しまれて旅立ちたいな… etc こうして考えていくと、 心身の健康を保つ努力をしなくっちゃ… 他人のためになるスキルなり知識を持たなくっちゃ… 所有するものは少なくしておこう… 人間関係を断つようなことやわだかまりを残しておいてはいけないな… 人柄を良くしておかなくっちゃ… etc というふうにこれからの生き方の目標が明らかになってきます。 目標のある人生と、ただ時間を潰すだけの人生では今後の生活へのモチベーションは自ずと違ってくるでしょう。 死の瞬間に感じる充実感も違うことでしょう。 更にあちらの世界に行ってから、人生を振り返ってみた時の自己評価も多分に違うことでしょう。 「死」は決してネガティブなものではありません。 寿命を全うして死を迎える限りにおいては、この世からの卒業式であり、祝福されるものであります。 あなたはどんな卒業式を迎えたいでしょうか? Read more »
健康で充実した人生を送る方法 4/15/2022 近年、様々な病気に「心因性」とか「ストレス性」という言葉が付くようになりました。心因性疼痛、心因性発熱、心因性視覚障害、心因性頻尿、ストレス性胃腸炎etc これらは文字通り、からだの不調の原因を「心」にあると認めることです。 からだ(肉体)を機械のようなものと見なしていた時代は、病気の原因は、肉体の機能や構造の問題によって、あるいは外界からの侵蝕によって起こるものと捕まえていました。 しかしながら臨床の現場では上に記したような原因だけでは捉えきれない病態が増えてきたことで、新しいアプローチでの研究が進みました。その結果として病気や不調の原因を心に求めるようにもなってきたのです。最近ではがんとストレスの関係性を研究されている研究者の方もいらっしゃるようです。 近年の医学会の研究に先立つように、100年以上も前にもたらされた霊訓(霊的真理)には「霊主肉従」という教えがあります。人間は霊の部分が主人(原因)で肉体はその従者(反映)であるという意味です。 霊の部分とはあなたの思い、考え、感情などの想念そのもののことです。つまりは霊とはあなたの心の有り様そのものなのです。ですから霊主肉従とは、あなたの想念(心)が原因であって、肉体にそれが反映されているという意味なのです。100年以上も前に「からだ(肉体)の健康の良し悪しの原因は心(霊)にある」という情報が既に人類にはもたらされていたのです。 一般的に「霊」という言葉には、曖昧さや漠然さが伴いますし、人によっては怖さや怪しさを感じるものではありますが、そういった方は霊を「心」とか「想念」とか「意識」というふうに読みかえることで、こういった論説に対する理解が進むことでしょう。 さて、では病気になってしまった時、そしてその原因が「心」にあると言われた時、どうすれば良いのでしょう? 医学書やインターネット上には、心因性の病気への対処法が溢れていますが、その多くは心理カウンセリング手法の焼き直しです。 評価を入れずに自分と現実を認める所からスタートし、少しずつ自分が持っている価値観を転換していくことでストレスを和らげていくというのが一般的な心理カウンセリングのルーチンです。 この方法で効果が上がり、病気や不調が治っていくのでしたらもちろん喜ばしいことですが、中にはそういった対処法では思ったような効果を得られない方 Read more »