死んだら終わり?


ここ数ヶ月ほど「死んだら終わりでしょう」とか「死んだら何も無くなるんでしょう」という考え方の人に遭遇したり、こういう考え方をする身内に手を焼いているという方のお話を聞く機会がなぜかしら増えています。

「不思議好きの宗教嫌い」は日本人の特質の一つではあるものの、信仰心のかけらも無く、こうも唯物主義に毒されている人が多いとは…と、ちょっと辟易してしまいます。
一応日本では仏教徒が多いことになっていますが、その開祖であるお釈迦様が、無明(真理の欠落)が苦しみの根本原因と説いていらっしゃるのに…。
しかも私が見たり聞いたりしたこういう考え方に毒されている方々は、みなさん私よりも年上で、長く見積もっても残りの人生は10年か20年という良い大人(高齢者?)なのです。

この方たちはどんな人生を歩んできたのだろう?立ち止まって自分自身を見つめることなんてしてこなかったのだろうか?人生について思いを馳せるような経験があったのだろうか?…と、たくさんの???が私の頭を駆け巡り、その内にこういった方達にお会いすると「なんて可哀想な…」という哀れみの情まで沸き起こってくるようになりました。

臨終の時、肉体と霊がスムースに分離できる方とそうでない方がいます。
前者の場合はほとんど苦しまずに霊界に移行できるということですが、後者の場合の苦しみは相当なものらしく、酷い場合は何年も意識混濁のまま過ごす人もいらっしゃいます。
この世に生きている時から自分の内面性や霊性の向上といったものに目を向けながら過ごした方は比較的スムースに移行でき、その一方で唯物主義に囚われてこの世的な楽しみや満足に重きを置いた方はスムースにはいかないようです。

残念なことに、唯物主義に囚われている方ほど、残りの寿命をこの世的な享楽に向けようと頑張りますので、病気やケガといった立ち止まりのチャンスが訪れてもそれを無視してしまい、どんどん悪循環の深みに嵌まっていってしまいます。
そんなことを続けていると、本来は晴れ晴れしい臨終という卒業式が、苦々しい補習の日々に変わっていってしまうのに…。

反面教師として自分自身への警鐘とすることぐらいでしか、こういった方達に報いることはできないのでしょうか?

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