尊敬する人される人


私たちは常に尊敬する人物を求めるものです。
まずは身近な人間関係の中に尊敬できる人物を求め、その人物の真似をすることから始めます。
私たちの意識の中には、成長したい、向上したいという欲求があり、自分より優れた所がある人に惹きつけられるのです。
生まれてきた目的を潜在的に理解していると言っても良いでしょう。

子供は身近な大人である両親や祖父母といった近親者にその対象を求めますが、幼い頃はまだ理性が十分に発達していませんので、善悪の判断も覚束ず、そっくりそのままコピーすることをします。
他人からみると「なんだあの家庭は…」と眉をひそめるような事があったとしても、その子供には罪は無いのです。

ところが思春期頃になると、子供は子供なりに世間を知るようになりますから、近親者の良い所も悪い所も客観的に判断できるようになってきて、自我と近親者から学んだものとの間で葛藤が始まります。
いわゆる反抗期です。
この時期を経験することによって、私たちはより視野を広める必要性を直感的に感じとり、尊敬の対象を様々なところに求め始めます。
自分がスポーツに熱中しているなら有名な選手を手本に、音楽に熱中しているなら名演奏家を、あるいは歴史上の人物だったり、習い事の先生だったり、というように。

学校を卒業して社会人になっても、誰かを尊敬していたいという欲求は続きます。
はじめは身近にいる優秀な先輩にその対象を求め、その先輩がやっていることと同じことをして、スキルアップをしようとします。
そして曲がりなりにもその先輩と同じ位の仕事ができるようになったら、今度は他の先輩や上司にその対象を求めます。
ただその尊敬の対象は、あくまでもスキルレベルに過ぎません。
仕事でも趣味でも目標とするものは、より良い成果を生み出すための、テクニックであったり、段取りの仕方であったり、知識であったりします。
これはこれで自分が成長していっている実感がありますので、上司や先輩から教わることでも、その行動を真似することでも充実感が生まれるものです。

しかしながら、スキルアップについてある一定のレベルにたどり着くと、人は次のステップとして「人間性」の成長とか、向上といった内面的なものを求めるようになります。
私たちが生まれてきた目的がそこにある以上、これはごく自然なことです。
今まで手本にしていた先輩や上司だったのに、彼らの人間的に未熟な面を垣間見たがために、急速に尊敬する気持ちが萎えてしまったような経験はどなたにでもあることと思います。
そして自分が関係している組織とは別のところ、偉人、先人、各界のリーダーなどにその対象を求めるようになります。

会社でも組織でも、上に立つ方、指導的立場にある方は、やはり人間性を磨く事に注力する必要があると考えます。
でないと、配下にある部下や後輩達が、ようやく戦力になってきたなぁというところで、自分のところから離れていってしまうからです。

定着率に悩む組織のトップやリーダーの方は、自らの内面性をよくよく吟味して欲しいと考えます。
上に立たれている方はそうでない方に比べて周囲や社会への影響力が大きいので、これらの方が人柄だとか、人徳だとか、霊格だとかという所に目を向けていったなら、その組織の成員の人間性の成長という面で良い手本になるでしょうし、良い意味での社会の変革はより速く進むことでしょう。

霊的真理は生き方の手本を示し、その方の人間性のより良い成長の手助けとなるものです。
尊敬を受けたいがために霊的真理を学ぼうというのは本末転倒ですが、霊的真理を学ぶことは少なくとも本人にとって有意義なことでありますし、さらに影響力のある方が霊的真理を学びそして実践することは、本人やその組織が社会により多くの貢献をすることにつながっていくことでしょう。

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