生まれながらのミディアムは自らミディアムと名乗らない

 2000年代初頭の頃からでしょうか、日本ではスピリチュアルという言葉が市民権を得て、あちらこちらで普通に聞かれるようになりました。その前、1990年代〜2000年頃にかけては、新興宗教団体による霊感商法問題や洗脳騒動、カルト教団によるテロ事件や集団自殺事件などがマスメディアで大きく取り上げられ、報じられていました。

 そのような時代背景の中では目に見えない世界の事を話題にする事は一種のタブーであり、本当に信頼のおける仲間内でしか話題にする事ができないというとても窮屈な時代でもありました。その窮屈な時代ではスピリチュアルだの、ヨガだの、瞑想だの、グルだのという言葉は、発するのすらも憚られたものです。

 そういう窮屈さを打破したという点で、自称スピリチュアルカウンセラーのE氏が果たした役割は、とても大きかったという事ができます。スピリチュアルという言葉に市民権を与えたという点では功績と言えますが、功罪相半ばするという言葉があるように、同時によろしくない影響をもたらした面も否めません。

 メディアでのE氏の活躍を見た方の中には「スピリチュアルは儲かる」と勘違いして、何でもかんでもスピリチュアルと関係付けして商売したり、E氏の真似事をして霊界からのメッセージ伝えているように装って金儲けしたり、霊界からメッセージを受けていると勘違いしたイタイ人を多数輩出してしまったりした面もあります。

 これらの結果としてスピリチュアルという言葉が一人歩きしてしまい、本来の意味をわきまえている人や、本物の霊能者を知る人がほとんどいらっしゃらなくなってしまいました。スピリチュアルを胡散臭いと考える人はたくさんいらっしゃいます。

 人格的にも素晴らしく、しっかりと霊界の住人とコミュニケーションを取る事ができ、相談者に的確なアドバイスができる霊能者(霊媒)は昔から存在していらっしゃいますが、そういうちゃんとした霊能者さんからしてみたら、現在のスピリチュアルを取り巻く環境は、商売の邪魔でしかない事でしょう。スピリチュアルという言葉が市民権を得たおかげで、目には見えない世界への関心を持つ人が増えたという点では、商売のパイが増えたように思われる方が多いでしょうが、実際のところは、そういった「本物」が埋もれてしまいがちになってしまっているからです。

 本物は少数であり、少数であるからこそ価値があります。消費者側の立場から見ても今の時代、埋もれてしまっている本物を探し当てるのはこれまで以上に難しくなっています。

 さて、霊能力は生来のものです。どなたでも潜在的にお持ちのものではありますが、その能力の発現にはさまざまな要因が絡んでいることは以前の記事で述べさせていただきました。

 と同時に、「(何かしらの)使命を帯びた霊媒は生まれてくるものであり作られるものではない」(アラン・カルディック)とも言われます。何かしらのお役目のある霊媒は子供の頃からその能力を自然な形で発揮していました。

 


 大人からしてみると不思議だとか幻想だとか思えるような体験を、そういった子供はごく普通に経験したものとして語ります。亡くなったはずの近所の老人と挨拶したこととか、すでに他界した親戚と遊んだ話、神様や妖精の目撃談等々です。ですが多くの親は、子供の将来を考えて、そういう話は口外しないように、としてしまいます。あるいはその子供自身がそういった話をした時の相手の反応を察知して、口をつぐむようになってしまいます。生来の霊媒体質は、本人にとってはネガティブな問題なのです。

 過去はもちろんのこと、スピリチュアルという言葉が市民権を得た昨今といえども、霊界やスピリットの話題はいまだにマイノリティであり、そういう話題が通じる場はごく限られています。スピリチュアルという言葉の曖昧さが、スピリチュアルという言葉に市民権を与えただけであって、その語源であるはずの「霊」の話題はいまだ市民権を得ているとは言えないのです。多くの方は「霊」のつく話題には抵抗感を持っているという現実は今も昔もそう大きく変わってはいません。

 こういう背景がありますから、生来の霊媒は人前で「霊」を語ったり扱うことにはとても慎重になります、あるいは臆病になってしまうのが一般的です。さらには生来から持ち合わせている能力でもあるので、わざわざそれに名前を付けようともしません。皆さんは食べ物の味を感じ取れることでしょう、しかしその能力に例えば「食味家(しょくみか)」というような名前を付けて商売しようと思わないことでしょう。こういった要因があって、生来の霊媒はあえて自分から「霊媒」あるいは「ミディアム」と名乗ることに躊躇してしまうものなのです。

 スピリチュアルという言葉が市民権を得ることで、霊媒能力開発講座的なものをあちらこちらで見かける事ができます。そういった所でお金と時間をかけて能力開発された方は、霊媒とかミディアムという言葉を、〇〇認定ミディアムのように一種のステイタスのように用いたがったり、能力を自慢したがったりしがちのようです。

 一方で生来の霊媒は、誰かに聞かれたら便宜上「そうです」答えたり、あるいは大きな決意を持って名乗り始めるものです。

 とはいえ、生来の霊媒といえども「道徳性のみが霊媒の能力に影響する」(アラン・カルディック)ので、その霊媒体質を奉仕のために使うのか我欲のために使うのかという、霊媒の内面性が霊媒の質を決めているということも心に留め置かなければなりません。

 もしあなたがスピリチュアルに内面的なもの、より深いもの、人生の指針や基軸のようなものを求めていらっしゃるのであれば、そして何よりも使命を持った本物の霊媒を探していらっしゃるのであれば、彼らが謳う肩書きに惑わされることがないよう、普段の生活や人柄までも含めてその霊媒を評価した上で、戸を叩かれることをお勧めいたします。

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