死を考えることは生き方を考えること

ある日のワークショップ。

瞑想の時間に、ある受講生の方が「私はどう死にたいのだろう?」という所に初めて意識が向いたとお話ししてくれました。

その時点ではその方は答えを得られていないようでしたが、近い将来にきっとその方なりの理想像を得ることができると思います。

とても良い視点を持たれたことで、これからの人生をより充実させることができることと思います。

 


 

「死を考えることは生き方を考えること」でもあります。

私たち人間は否応なく死に向かって人生を歩んでいます、例外はありません。

今世の卒業式である「死」の瞬間をどう迎えたいのか、更に言えば、死後にどういう境遇でありたいかということを考えることはとても有意義なことです。


理想の死に方をイメージするのが難しければ、どんな死に方は避けたいかを考えても良いでしょう。


例えば…

 

長い闘病生活は嫌だな…

介護で世話をかけるのも申し訳ないな…

遺品整理で面倒をかけたくないな…

孤独死は嫌だな…

自分が死んだ事を喜ばれるのは悲しいな…

etc


そして、避けたい死に方の反対が理想の死に方になります。

 

できるだけ長く健康で、何かの役に立っていたいな…

亡くなる直前まで自分のことは自分でできるようでいたい…

さっぱりと清々しい気持ちで最後を迎えたいな…

少人数で良いから見送られながら逝きたいな…

少しは惜しまれて旅立ちたいな…

etc


こうして考えていくと、


心身の健康を保つ努力をしなくっちゃ…

他人のためになるスキルなり知識を持たなくっちゃ…

所有するものは少なくしておこう…

人間関係を断つようなことやわだかまりを残しておいてはいけないな…

人柄を良くしておかなくっちゃ…
etc


というふうにこれからの生き方の目標が明らかになってきます。


目標のある人生と、ただ時間を潰すだけの人生では今後の生活へのモチベーションは自ずと違ってくるでしょう。

死の瞬間に感じる充実感も違うことでしょう。

更にあちらの世界に行ってから、人生を振り返ってみた時の自己評価も多分に違うことでしょう。


「死」は決してネガティブなものではありません。

寿命を全うして死を迎える限りにおいては、この世からの卒業式であり、祝福されるものであります。


あなたはどんな卒業式を迎えたいでしょうか?

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